渋沢栄一は2024年から新1万円札の顔となる予定となっており、「日本型資本主義の父」とか、「日本経済の父」と形容されています。
幕末から明治維新へと激動の時代を駆け抜けた渋沢栄一はどんな思想を持って、日本経済の礎を作り上げたのでしょうか。
この記事では、渋沢栄一の現代語訳『論語と算盤』(訳:守屋淳)のあらすじをわかりやすくを紹介したいと思います。
Contents
論語と算盤の基盤となる考え
論語と算盤とは、はななだ遠くて近いもの
論語とはー弟子たちが孔子の亡き後、孔子の言葉について書いた書物ー
この論語と商売を意味する「算盤(そろばん)」とはいっけん不釣り合いでかけ離れたものにも思えます。
しかし渋沢の哲学とは、
「実業」とはなるべく多くの人に、ものが行き渡るようにする生業(なりわい)である。
これが完全でないと国は富の形にはなれない。
国が富をなす根源とは、社会の道徳を基盤とした正しい素性の富。
そうでなければ、その富など永久に存続することはできない。
とうことが根底にあります。
現在に例えて言うならば、「振り込め詐欺」のように、誰かに与えることもしなければ、奪うことだけして、一部のずるい人間だけで利益を得ようとするよな商法があります。
はじめは少し聴力の衰えを感じてきた方や、認知機能が低下してきた高齢者を相手に簡単に何百万、何千万と簡単に稼げるかもしれません。
しかし、そんな詐欺商法はいずれ警察に摘発されますよね。
そう言う商売のやり方は、「正しい素性の富」ではないから、永久に存続することはないのです。
本当の富とは、自ら人々に広く利益を与え、その見返りとしての富を得ること。
その繰り返しによって、富が存続してこそ『正しい富の形』・『経済のあり方』だと渋沢栄一は考えていました。
自ら箸を取れ
世の中には、大いに仕事がしたいのに、頼れる人がいないとか、面倒を見てくれる人が否とか嘆く者がいる。
しかし、ご馳走のお膳立てをして待っているのに世間や先輩は、あなたにご馳走を口に運んであげるほど暇ではない。
お膳立てをしてあげているのだから、それを箸で口まで運ぶかどうかは自分次第。
「自分は高等教育を受けているのだから、くだらない仕事などできない」と言うのは間違いである。
優れた人物につまらない仕事をさせるのは、人材や経済の観点から見ても不利益だが、
先輩が不利益な仕事を与えるのには、理由があると思った方がいい。
小さな仕事も軽視せずに、勤勉に忠実に誠意を込めてやり遂げようとすべきである。
秀吉が信長の草履取りの仕事をまっとうしたのをきっかけに、
武将としての身分を勝ち取ったように、自らご馳走を自分の口に運ぶことをしなければ、立身出世も大志も成し遂げることはできない。
大きな志と小さな志の調和をとるべきである
渋沢栄一は自分の青年期に自分が賤しい農家の出身で、世の中から人間以下の扱いを受けたことから、武士を志しました。
低い身分でいるのが嫌で、武士になりやがて国政にも身を投じた十数年間を「無駄に費やした」と言います。
30代になり、官僚から実業家になろうとしたことが本当の意味での「立志」であったと。
渋沢栄一は自分が身分不相応な志を目指していた。
若い人には、先人の失敗もをんでほしい。
今青年期にある人は、自分のような失敗をして欲しくないとのことです。
常識とは〜智・情・意のバランスをとれ〜
常識とは ごく一般的な人情に通じて、世間の考えを理解し、物事を上手く処理できる能力である。
智・情・意(ちえ・情愛・石)のバランスをとりなさい
智 人として知恵が十分に発達していなと、物事を見分ける能力が不足してしまう。
情 何事も情が加わることによって、人生の出来事を円満な解決に導いてくれる。
意 強い意志さえあれば人生において大きな強みになる。
人生は努力にある
人は怠けていて好結果に終わることはない。
若い人には大いに勉強してもらいたい。
一度怠ければ、最後まで怠けた人生のままだからだ。
渋沢栄一は論語と算盤を執筆した70代前半で一度も職務を怠ったことがないと言います。
朝7時前に起きて、渋沢を頼ってくる面会者と時間の許す限り面会したそうです。
70歳を過ぎてもろくに病気もせずに、一度も仕事を休んだことがないとは、普通に考えればすごいことです。
普通の人間は、会社勤めを何年かしていれば、数回は体調を崩し、突発的に休む日もあります。
晩年、渋沢栄一が90代で大腸癌の病に倒れるまで、再婚した妻との間に四男三女をもうけ、めかけとの間に三十人以上の子供がいたと言われています。
渋沢栄一は特に、論語と算盤の本編中でこのことについては言及していませんが、かなり女好きの上に、気力体力ともに充実した人生であったのでしょう。
本当に正しく経済活動を行う方法
富を得た者がやるべきこととは
思いやりを持って世の中の利益を考えるのは良いことだ。
しかし、同時に自分の利益が働くと言うのも世間一般の当たり前の姿である。
その中で社会のためとなる道徳を持たないと、世の中というのは少しずつ衰えてしまう。
いかに自分が苦労して築いた富であったとしても、その富が自分1人のものであると言う考えは間違っている。
人はただ一人では何もできない。
国家社会の助けがあって、自分も利益を上げられ、安全に生きていくことができる。
富を得れば得るほど、国家社会に助けてもらっていることになる。
この恩返しをする意味で、貧しい人々を救う意味での慈善活動に注力するべきである。
女性教育の重要性
女性を封建時代のように、無教育なままばかにした扱いをすべきではない。
統計的に見ても、善良な女性からは善良な子供が育ち、優れた教育を受けた女性の子供は優秀に育つからだ。
明治以前の女性教育はもっぱら中国思想にたよっていた。
女性は純潔であれ、従順であれ、細かい目配りを忘れるな、優しく美しくあれ、耐え忍べといったような思想。
これらは主に精神学的な思想に頼っており、知恵とか知識とか理論ということについて奨めたり、教えようとするものは誰もいなかった。
女性も社会の一員であり、国家の構成要員である。
女性にも男性と同じような、知恵や道徳的、知識を与えともに助け合っていかなければならない。
今でこそ、女性の社会進出と活躍が当たり前の世の中になりました。
私が高校3年の時に、「大学に行きたい」と母に言ったら、
「お金がもったいない。女の子がそんなに勉強してどうするの?いずれ結婚してお母さんになるんでしょう!?」と言われました。
母は終戦の年の生まれで、明治期ほどではないものの、まだ古い考えを持っていました。
結果として、せっかく結婚しても男性からも捨てられました。
受験勉強はしておいて良かったです。
「女の子なんだから」と言うのは、母が思っているだけで、世間の人は思っていないからです。
こう言った古い考えは、明治期以前は通用したかもしれませんが、女性だから教養がなくてもいいといのは、大きな間違いです。
渋谷栄一が支援し活動する以前は、女性が低く扱われて当然の時代だったのでしょう。
成功と失敗
成功も失敗も結局は、心を込めて努力した人の身体に残るカスのようなものだ。
人生の道筋は様々で、時には善人が悪人に負けてしまったように見えることもある。
しかし善悪の差はいずれはっきりと結果となって現れてくる。
成功や失敗の良し悪しを議論するよりも、まず「誠実に努力すること」である。
正しい行為の道筋は、天にある日や月のようにいつでも輝いて、少しも陰ることがない。
よって、正しい道筋に沿った行いをする者は、必ず栄えるし、それに逆らって物事を行う者は、必ず滅びる。
成功や失敗と言った価値観から抜け出し、超然と自立し、正しい行為の道筋に沿って行動し続けるなら、
成功や失敗などとはレベルの違う、価値のある生涯を送ることができる。
成功など人がなすべきことを果たした結果に生まれるカスなのだから、気にする必要などない。
成功や失敗にとらわれずに、人としてなすべきことをなせば、素晴らし人生が自ずとついてくるから、
目先のことにばかり気にしてするべきではない。
目先のことばかりにとらわれずに、人生を大きく捉えるべきだと言うことですね。
渋沢栄一の現代語訳『論語と算盤』(訳:守屋淳)のあらすじをわかりやすく紹介!ポイントをまとめてみた!のまとめ
以上、渋沢栄一の現代語訳『論語と算盤』(訳:守屋淳)のあらすじをできる限りわかりやすくご紹介しました。
論語と算盤は小説ではないので、ストーリー仕立てになっていません。
渋沢栄一が論語を基盤とした人生観や経営哲学について、思うところを語っているだけなので、取り立ててどこにも盛り上がりもなくページが進んでいきます。
ですが現代人が見失いがちな「人生における真の志とは何か、そのことさえ念頭に置き生きて行けばよい」と語りかけてくれています。
1965年、東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
大手書店勤務後、中国古典の研究に携わる。
雑誌連載、講演を数多く行う。
主な著書訳に「『論語』がわかれば日本がわかる(ちくま新書)」、「最高の戦略教科書孫子(日本経済新聞出版社)」、「現代語訳 渋沢栄一自伝(平凡社新書)」などがある。