人物

新一万円札の顔【渋沢栄一】とは?経歴や功績をわかりやすく紹介!

こんにちは!なぎさです!

2021年春からNHKの大河ドラマ「青天を衝け」で、俳優・吉沢亮さんが主人公である「渋沢栄一」を演じることが2019年9月に発表されています。

2024年から新一万円札の顔となる渋沢栄一ですが、長年私たちが慣れ親しんだ「福沢諭吉」と比べると、若干知名度が低い印象です。

しかし、渋沢栄一を無くしては今の日本経済は語れないと言われているくらいで、「日本型資本主義の父」と呼ばれています。

この記事では、このような渋沢栄一の経歴や功績について、わかりやすくご紹介したいと思います。

スポンサーリンク

渋沢栄一とはどのような人物か

渋沢栄一

1840年3月16日生まれ(1931年11月11日、満91歳没)

幕臣、官僚、実業家、教育者

※幕臣とは征夷大将軍に仕える武士

現在の埼玉県深谷市近辺(当時武蔵国榛沢郡血洗島・むさしのくにはんざわごおりちあらいじま)の、

藍(あい)商売を営む裕福な農家に生まれた

6歳から『蒙求(もうぎゅう)』・『論語(ろんご)』を教科書に、従兄の尾高新五郎(惇忠・じゅんちゅう)より四書五経や日中の古典の教えを受ける

12歳から従兄の渋沢新三郎より神道無念流(しんとうむねんりゅう)という剣術を学ぶ

企業500社、公共事業600社を設立

明治日本の近代化に大きな貢献を果たした

ー 爵位 ー
1900年(明治33年)男爵
1920年(大正9年)子爵

渋沢栄一の経歴と功績

攘夷派志士(じょういはしし)から一転、幕臣への転身

渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市近辺で裕福な藍農家に生まれました。

この埼玉県深谷市はその昔坂東武者(関東の武士)たちが争いを繰り返して、血まみれの首を洗ったところから、武蔵国血洗島と名付けられた土地柄です。

渋沢栄一自身も、気性は荒い方だったと言われています。

 

渋沢栄一は、14~15歳くらいには、農家の手伝いをするようになっていました。

 

17歳の時に父の遣いで、代官所に御用金(領主からの借金)のを申し付けに出向いた時に、代官に口汚くののしられた経験を持ち、

 

良い血筋にさえ生まれれば、無能や無学のものでもそれなりの地位につけてしまう幕府の古い体制に憤りを覚えていました

 

渋沢栄一は学問の志・尾高新五郎や新五郎の弟・長七郎、従兄の喜作の影響を受けて、尊王攘夷の思想に傾倒して行きました。

 

数えで24歳の時に、幕府外交のふがいなさに憤り、近隣同志70名を率いて、高崎城を乗っ取った上で武器を奪い取り、

横浜の外国人居留地に火を放ち、手当たり次第に外国人を切り殺そうと企てていました。

この渋沢栄一の企ては、当時京都にいた長七郎に説得され、未遂に終わっています。

しかし、この未遂に終わった企てが幕府に知れることになり、渋沢栄一は幕府に追われる身となります。

ところが渋沢栄一は、ひょんなことから幕府の中心人物だった一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)に人柄を見込まれて、一転幕府に仕える身となりました。

フランスへの留学

1867年(慶応3年)にパリで開かれた万国博覧会に、将軍となった慶喜の弟・徳川昭武(とくがわあきたけ)が名代として派遣されることになりました。

渋沢栄一はこの昭武に随行することを命ぜられました。

渋沢栄一のパリ滞在中には、※「大政奉還」の一報が届きます。

※「大政奉還」とは1867年11月9日(慶応3年10月14日)に、第15代将軍・徳川慶喜が明治天皇に政権返上し、翌15日に天皇が奏上を勅許したことを言います。

これを渋沢栄一は、「幕府滅亡は時の勢いであり、あわてて帰っても仕方がない。むしろこのまま留学を続けた方がいずれ祖国のためになる」と考えました。

この間に幕府からの送金で、病院や貯水池、下水道などの研究を続けました。

スポンサーリンク

渋沢栄一が描いた「新しい日本」と「株式会社」のはじまり

渋沢栄一は、ベルギーで製鉄所を見学した際に謁見(えっけん)した国王が、

ベルギーの鉄の品質と価格の安さをアピールし、是非ともたくさん買い付けるようにと言ってきたことから、

国王ともあろう人がまるで商人のような口を利いて、国を富まそうとしていることに驚きます。

「西洋諸国の武力が優れているのも、経済力の裏付けがあってからこそである。

新しい日本も経済力に力を入れ、身分に関係なく人材を登用していかなければならない」と感じたと言います。

渋沢栄一のこのような経験から、合体組織による事業を日本中に広げていきたいという夢が膨らんでいきました。

「身分などに関わりなく、知恵のあるものには知恵を、金のあるものには金を出し合って、皆で力を合わせて事業を育てていく」

という、今でいう「株式会社」の始まりです。

留学先からの帰国、大蔵省へ入省

1986年(明治元年)、渋沢栄一は留学先の節約と利植で残した二万両余を、慶喜が隠れ住んでいた静岡に返済して役人たちを驚かせます。

渋沢栄一は米不足、仕事不足で苦境にあった静岡で、藩からの出資を受けて合体組織である「商法会所」を作り、

製茶・養蚕などの事業育成をする目的で貸し付けを始めました

渋沢栄一には、慶喜の元で静岡のために尽くしたいという思いがありました。

しかし一年も経たずに、渋沢栄一は新明治政府に呼び出されます。

大蔵省をしきっていた大隈重信(おおくましげのぶ)に、

「英明な慶喜公が自分一人のために、君を静岡に留め置こうと思われるはずがない」と説得されました。

大蔵省で裁量を発揮、新しい日本へ

渋沢栄一は新しい国造りを立案する部局が必要だと考え、大隈重信を説得しました。

改正掛(かいせいかかり・必要な制度改革の素案を作成する部署)を発足させ、大隈により掛長に命ぜられます。

貨幣制度、税制、全国の測量、度量衡(どりょうこう・物の価値をはかる標準値、単位)の統一、郵便制度、鉄道敷設などの議論を行います。

廃藩置県と同時に、各藩の落札の流通を禁ずるとともに、全国統一の紙幣に切り替えることに成功します。

富岡製糸工場の建設

渋沢栄一は、群馬県の富岡にフランス人技師を招き、近代的な製紙工場を建設させました。

それまでは作り手の生糸(きいと)では糸の太さがばらばらで、外国人バイヤーに安く買いたたかれていました。

富岡で作られた生糸は、フランスのリヨンやイタリアのミラノからも注文が殺到するようになりました。

このことがきっかけで、生糸が日本の重要な輸出商品となりました。

銀行を設立し大蔵省を辞職、やがて日本企業を代表することとなる企業の量産へ

渋沢栄一は三井組、小野組という江戸時代からの両替商に共同出資させ、「第一国立銀行」(現在のみずほ銀行)を設立しました。

第一国立銀行と言うと、国の組織の様に聞こえますが、米国のナショナル・バンクを真似したもので、

「ナショナル」を「国立」と訳し、「バンク」を「銀行」と訳しているだけで、「民間企業」でした。

この第一国立銀行は、日本初の近代的金融機関であり、合体組織となりました。

渋沢栄一は1873年(明治6年)、国家の財政状況を無視し、頭ごなしに予算増額を決めていた江藤新平に反発して大蔵省を辞職します

これと同時に、第一国立銀行の頭取に就任します。

この後渋沢栄一は、日本鉄道会社、日本郵船会社、サッポロビール、王子製紙、東洋紡、東京瓦斯(東京ガス)、

帝国ホテル、秩父鉄道、麒麟麦酒(現キリンビールホールディングス)、秩父セメントなど数多くの企業の設立に尽力していきました。

作曲家、古関裕而(こせきゆうじ)とは?記念館には天皇も訪れるこんにちは!!なぎさです(^_-)-☆ ご訪問ありがとうございます!! 2020年春からのNHK朝の連続テレビ小説に、主人公役として...

社会貢献活動として医療施設や学校の設立

渋沢栄一は東京市からの要請で、養育院(現東京都長寿医療センター)の院長を務め、東京慈恵会、日本赤十字社、らい予防協会などの設立に携わり、

聖路加病院初代理事長、滝乃川学園初代理事長、商法講習所(現一橋大学)、大倉商業学校(現東京経済大学)の設立に協力します。

学校法人国士館の経営・設立、同志社大学の寄付金集めに奔走しました。

女子教育への必要性の訴え

渋沢栄一は男尊女卑の風潮が色濃かったこの時代に、女子への教育への必要性を訴えました。

伊藤博文・勝海舟らとともに、女子教育奨励会を設立。

日本女子大学東京女学館の設立に携わりました。

著作・論語と算盤(ろんごとそろばん)

渋沢栄一は、1916年(大正5年)に「論語と算盤」を執筆しました。

※「論語」とは孔子と高弟の死後、弟子たちが記録した書物です。
「孟子」「大学」「中庸」と合わせて朱子学の「四書」の一つに数えられます。

論語と算盤では、※権謀術数(けんぼうじゅっすう)的な商才は「真の商才」にあらず、

富をなす根源とは「仁義道徳」であるということを述べています。

つまり、正しく道理にかなったやり方であれば、いずれは国家や社会の利益となり、自己の利益となってめぐってくるものだと言う考えです。

※権謀術数とは自分の欲や利益のためだけに取られる手段や策略を言います。

現代語訳:渋沢栄一【論語と算盤】のあらすじをわかりやすく紹介!ポイントをまとめてみた!こんにちは!なぎさです! この記事では、渋沢栄一の現代語訳『論語と算盤』(訳:守屋淳)のあらすじをわかりやすくを紹介したいと思います。...

新一万円札の顔【渋沢栄一】とは?経歴や功績をわかりやすく紹介のまとめ

今回は2024年に新一万円札の顔となる、渋沢栄一の経歴や功績についてご紹介しました。

近年、日本企業は「渋沢栄一の志」とは、真反対の方向へ向かっていると感じます。

企業が従業員の非正規雇用を控え、パートやアルバイト、派遣社員などで人件費を安く抑え、

自分の会社に何かあった時のために内部留保を莫大に抱えて、従業員にきちんと還元していないことが問題となっています。

残業代の未払い問題や、ブラック企業がはびこり、企業が従業員に対して、労働力に見合った賃金をきちんと還元しないことにより、

日本はどんどんデフレが進んでいき、若い人たちが将来に不安を覚えています。

この不安から若者が結婚や出産・子育てに消極的になり、日本の少子高齢化が加速しています。

ごく一部の裕福な人を除いて、みんな極力買い物を控え安い物にしか手を出さなくなります。

そして企業の収益はどんどん落ちて行くことでしょう。

結局は今大部分の企業がやっていることとは、いずれ自らの首を絞めることとなっています。

今こそ「私利私欲にとらわれずに」、渋沢栄一が志した日本を目指すべきではないでしょうか。

スポンサーリンク
ABOUT ME
なぎさ
東京都在住。 二人の男の子のシングルマザーです。 週5日、都内のクリニックで働いています。 好きなものは、息子、音楽、南の島、ネコ、鼻ぺちゃ犬、マンガ、映画館、空港、腕時計。 どうぞよろしくお願いします(*‘∀‘)
最新の投稿
RELATED POST

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です