こんにちは!なぎさです(*‘∀‘)
2019年夏に元慶応大学ラグビー部の杉田秀之さんが、下肢に障害を負いながらも、富士山登頂を果たしたことが話題になっています。
①杉田秀之さんがケガ負った経緯
②ラグビー部の仲間と12年ぶりに果たした、富士山登頂の概要
についてご紹介したいと思います。
Contents
12年前に計画された富士登山はどういうものだったのか
富士山登山は、もともと2007年慶応大学ラクビー部の監督であった、林雅人監督が考案した※「チームビルディング」の一環として導入されたものでした。
2007年の慶応大学ラグビー部の夏の合宿の最後に合宿メニューのなかに組み込まれていました。
※チームビルディングとは、一人では成し遂げられない目的や目標をメンバーの一人一人が主体性と個性を持ちながら、チーム一丸となって遂行していくことを表します。
杉田秀之さんの合宿中の練習試合で、重症を負う
杉田秀之さんは、2007年8月26日の長野県菅平高原での合宿中の練習試合で、スクラムが崩れた時に、第5、第6頚椎間の頚髄を損傷してしまいます。
杉田さんはドクターヘリで長野市内の病院に運ばれました。
林雅人監督は、医師から「最高に回復したとしても、車イス生活。最悪は寝たきり」という医師から伝えられていました。
杉田さんは首を全く動かすことができない状態なので、林監督は杉田さんの顔を上からのぞき込みました。
重傷を負った杉田さん。
それにもかかわらず、杉田さんは林監督に、3つのことをお詫びしました。
「試合を途中退場して、申し訳ありません。その後、試合はどうなりましたか?それと、富士登山に行けなくなってしまい、申し訳ありません。」。
この年の富士登山は、もちろん中止になりました。
しかし、部員と林監督は、「杉田がよくなったら、一緒に登ろう」と約束します。

2週間後、杉田さんの足が奇跡的に動く
2週間後、杉田さんは慶大病院に転院しました。
上半身から下半身にかけて、次第に感覚がもどっていたのです。
「次に感覚が戻って動くとしたら、足の指だからがんばれ!」と医師に言われて、足指に集中していたら、「ピクッ」と動かすことができました。
杉田さんはこの出来事を、「ゼロ」が「イチ」を達成した瞬間だったと、ものすごく嬉しく思ったそうです。
受傷直後の診断は、「ほとんど回復の見込みがない」というのは、間違ってはいなかったのですが、奇跡的な回復を遂げたのです。
杉田基金
2008年に杉田さんの高校の同級生の父兄が発足し、2010年12月31日に募金活動を終了しています。
延べ768人、総額13,401,189円の募金が集まりました。
募金活動期間中は、6月と12月に集まった募金を〆て、杉田さんに送金するというものになっていました。
HPで杉田さんの近況を報告していました。

杉田秀之さんの辛いリハビリセンターでのトレーニング
身体が完全に麻痺することは、免れた杉田さんでしたが、慶大病院を退院してからは、辛いリハビリ生活が待っていました。
膝を立てる、歩行器を使って歩くなど、少しずつできることが増えていきました。
当時150名いたラグビー部の部員たちが、代わるがわるお見舞いに来てくれていましたが、杉田さんは精神面で激しく落ち込んでいました。
リハビリセンターでの少年との出会い
杉田さんは、リハビリセンターである車椅子の少年と出会います。
杉田さんは、自分としては全く歩けている感覚はなかったものの、その少年から、「お兄ちゃんは、歩けていいね」と話しかけられたのです。
杉田さんは、ハッと我に返ります。
「そうか、この子にしてみれば、僕はまだ歩けている方なんだ。こんな僕でも、素晴らしいことをやってのけている。
今度は僕が、こういう境遇の子供たちを支えていかなければならない。
希望さえ捨てなければ、自分の道は切り開いて行けれることを伝えなければいけない。」。
杉田さんは、アメリカサンディエゴに渡米し、最先端のリハビリを受けることになりました。
辛いリハビリを持ち前のスポーツマンシップとチームを思う気持ち、道を切り開いて行くのだという強い気持ちを持って乗り越えました。
杉田さんは、2009年に帰国し、慶応大学に復学しました。

杉田さんが大学生活最後の一年を仲間と過ごす
杉田さんは、ラグビー部で主に試合の分析を担当しました。
伝統の早慶戦前には、「モチベーションビデオ」という動画を、仲間の為に徹夜で作りました。
杉田さんは、2012年に慶応大学を無事卒業しています。
外資系金融機関会社大手の「ゴールドマンサックス」に入社しました。
ゴールドマンサックスとの出会い
杉田さんは、就職活動中に様々な企業が集まるフォーラムに参加し、ゴールドマンサックスを知ります。
杉田さんは、ゴールドマンサックスで障害を抱えながらもグローバルに活躍する先輩たちを見て感銘を受けます。
ゴールドマンサックスでは、人種、性別、国籍、障害の有無に関係なく、実力主義に基づいて社員を評価しています。
チャレンジ精神に溢れ、チーム一丸となって最高の結果を導き出す人材が求められるのです。
杉田さんは、現在ゴールドマンサックスのアセットマネジメントという部門で、顧客から預かった資産を運用する業務についています。
杉田さんが仲間との12年越しの約束を果たす
2018年3月、元慶大ラグビー部の村田毅さんがSNSで杉田さんを中心とした富士登山の計画を発信しました。
これを期に杉田さんは、富士山登山を決意し、本格的なトレーニングに励みました。
【杉田秀之、富士登山計画】
大学1年の時にラグビーの試合で脊髄を損傷し、全身麻痺状態になってから10年半、来年7月に同期みんなで富士登山をするという約束を果たすために、トレーニング始動しました!!
こいつの頑張りは本当にたくさんの人に夢を与える。
僕も負けないように頑張ろ! pic.twitter.com/4t8YLn3KvZ— 村田 毅/Tsuyoshi Murata (@TsuyoshiM1215) March 31, 2018
慶応大学ラグビー部時代の仲間80名と、サポートスタッフ20名の総勢100名での挑戦になりました。
富士登山は、2019年8月23日から24日にかけて行われました。
23日には、杉田さんを含め30人の仲間とサポートスタッフで登りました。
もともと23日は荒天だったのですが、6合目までたどり着いた時に、「この天気だと今日は下山した方がいい」と言われてしまいます。
杉田さんは、この知らせを聞いて号泣してしまいます。
25日は晴れの予報だったので、25日まで待つという選択肢もありましたが、そちらを選ぶと24日から登ってくる仲間たちと一緒登れなくなってしまうのです。
そんな中、杉田さんの仲間の一人がANAのパイロットですぐさま詳細な風の予報を取りよせ、荒天の中にも4時間ほど風がやみ、登ぼれるスキがあるのがわかりました。
杉田さんは、登山用にカスタマイズした車椅子と歩きを併用して、23日の夕方5時に8合目まで到着しました。
24日は晴天に見舞われました。
杉田さんら一行は、早朝6時半から登山を開始しました。
9合目までようやくたどり着いたところで、自分の足で登りはじめました。
この9合目で、24日早朝から登りはじめた仲間に会い、みんなとハイタッチしました。
9合目からは、ツエを使いながら自分の足で山頂を目指しました。
山頂に着くと、鳥居の前で仲間たちが杉田さんを待っていました。
やりました!ゴールドマン・サックスの杉田秀之が大学時代のラグビーで負った障がいを乗り越え、当時の仲間と一緒に富士山の頂上に到達。#杉田富士登山計画 がとうとう成功の瞬間を迎えました。 pic.twitter.com/PednpYxIMz
— Goldman Sachs (@GoldmanSachs) August 26, 2019
問題は下山
下山には、健康な人でも危険が伴います。
下山には登山用の車椅子をハーネスでつないで、仲間に引っ張ってもらいました。
9合目までは、ラグビー部の先輩たち、8合目までは後輩、それから下は同期の仲間に引っ張ってもらいました。

富士山登頂の準備としてのテスト登山
杉田さんは、富士登山が計画された当時、ゲガを負った2007年もガイドとしてお世話になる予定だった三浦豪太さんを訪れています。
三浦豪太さんは、登山家・プロスキーヤーとして有名な三浦雄一郎さんの息子さんです。
豪太さん自身も、登山家・プロスキーヤー・医師でもあります。
三浦さんは、障害を抱えた人との富士登山の経験を持ち、杉田さんにアウトドア用車椅子があると教えてくれました。
杉田さんは、アウトドア用車椅子をアタ・アライアンスのサポートで提供を受け、三浦豪太さんらサポートチームとともに、2018年9月に東京郊外にある高尾山のテスト登山に成功しました。
この他にも、足元の安全を守り、ゲガなく登山を終えるために、「KEEN」と言うアウトドアシューズメーカーの協賛とサポートを受けています。
KEENは、杉田さんだけでなく、杉田さんの仲間たちにもシューズを提供しています。
KEENは、シューズ作りをとおして、シューズを手にさた人が自分自身を変化させ、精一杯生き、働けるための環境を整えることを企業理念としています。
杉田秀之さん富士登山の成功・まとめ
今回は元慶応大学ラグビー部の杉田秀之さんをご紹介しました。
重傷を負いながらも、林監督にチームに迷惑をかけたことをお詫びするなんて、関心しますよね。
杉田さんは、一度は歩けないと診断されながらも、ご自身の努力と周囲のサポートを得て、外資系企業で活躍され、富士登山まで実現されました。
杉田さんならではの、スポーツマンシップと努力を惜しまない精神力には驚くばかりです。
現在杉田さんは、ダイビングやカヌーなども楽しまれているとのことです。
一年間お付き合いしているステキな女性と、2019年8月26日に入籍しました。
これからも杉田秀之さんのご活躍を陰ながら、応援したいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうこざいました。