この記事では、1977年7月25日に実際におきた銀行員の失踪事件についてご紹介したいと思います。
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1,700万円と牧野さん失踪の経緯

1977年牧野さん(仮名・当時45歳)は、自身の勤めるB銀行に出社しました。
牧野さんは1971年中途入社し、銀行の渉外として集金係専門の業務を担っていました。
郊外のマイホームに妻と息子2人の4人暮らしで、まじめな働きぶりでした。
その日は五十日(ごとうび)であり、特に忙しく銀行を出たり入ったりしていました。
午後の集金に出て、戻り予定は午後5時でしたが、いくら忙しいにしても牧野さんは戻ってきません。
「集金人が戻ってこない」ということで、銀行内は騒然となりました。
外回りの行員は、行動予定表を複写して上司に渡し、行動を厳しく管理されていたにもかかわらず。
B銀行の職員が周辺を探すと、牧野さんの営業車はA生命ビルの駐車場に置いたままにされ、ロックもかけられていませんでした。
車内には免許証や財布が残されたままでした。
B銀行職員が牧野さんの行動を取引先に照会すると、牧野さんは4時頃まで7社を回っているようでした。
カバンの中には、約700万円の現金と小切手44通分(約1千33万円分)が入っていました。
その晩、B銀行内部で行われた会議では、「事件にまきこまれた可能性が高い」とされながらも、
行員が持ち逃げしたという不祥事を世間に広めたくないという意見がまとまりました。
B銀行は牧野さんが危険な目にあっているかもしれないのに、捜索願を出しませんでした。

一方心配した牧野さんの妻は、牧野さんが何か事件に巻き込まれたのではないかと、警察に捜索願を届けました。
新聞や報道では、「銀行員1,700万円持ち逃げの疑い」、「G銀行員が集金先から姿を消す」などと面白おかしく取り上げられました。
牧野さんの奥さんは、夫がいなくなってから16歳と12歳の息子たちを、一人で懸命に育てました。
しかし、4年後の1981年8月27日自宅で頭からビニール袋をかぶり、自ら命を絶ちました。
遺書には長男に宛てた手紙と、親せきに宛てたものと、自分の職場の同僚に宛てたものがあったそうです。
牧野さんの奥さんの死は、小さく新聞で報じられたものの、「1,700万円の持ち逃げ事件」とは結びつきはしませんでした。
5年後、A生命の駐車場にある重油タンクで牧野さんの遺体が発見される(1982年12月18日)
A生命は5年に1度行わなくてはならない、重油タンクの清掃を15年ぶりに業者に頼むことにしました。
この重油タンクは直径1メートル、長さ2.9メートルの筒状で、容量は1,950リットル。
5階建てビル用の、集中暖房ボイラー用で地下に埋め込まれているタイプでした。
直径80センチのフタが2つ並んでいて、一つは給油用、もう一つは点検・清掃となっていました。
業者が重量40キロの中ブタを開け、タンク内の重油を半分くらい抜いた時に、タンク内にぼろ布のようなものを見つけました。

業者が110番通報し、警察職員が引き上げたところ、オイル漬けになってほとんど腐乱の進んでいない牧野さんでした。
牧野さんの遺体は地元の国立大学の医学部で解剖されました。
頭部をすっぽり包んである布袋には紐がまかれていて、死因は頸部を絞められたことによるものでした。
ポケットに入っていた、牧野さんの認め印からすぐに身元は判明しました。
5年5か月ぶりの死体発見で、牧野さんが強盗事件にあったことがわかり、県警は「銀行外員殺人事件捜査本部」を設けました。
B銀行は牧野家に保留していた死亡退職金と弔慰金を支払いました。
牧野さんは「庶務職二級」から「一級」に昇格し、B銀行は職務中の死ということもあり、牧野さんの葬儀を盛大に行いました。
しかし、時すでに遅し。
牧野さんの妻は、1年4か月前に世間のバッシングをあびながら、一人で息子二人を育てていくことに疲れ果て、命を絶っています。
1982年12月捜査の手が牧野さん殺害の犯人Fに届く

1982年12月22日、東京都内のパチンコ店で住み込みで働いていたFという男のところに、捜査員が訪れます。
このFという男は5年5か月前、A生命に管理人兼ボイラーマンとして、B銀行の集金人である牧野さんを殺害した男です。
Fは2LDKの管理人室に、妻と中学生の娘と小学生の息子と4人で暮らしていました。
A生命の駐車場で牧野さんを呼び止め、教育部員さんが牧野さんに用事があるようなので電話をかけてほしいと、牧野さんをボイラー室に誘いました。
そこで、教育部員のいる部屋の番号は「66番ですよ」とウソの番号をかけさせました。
なかなか相手が電話口に出ないので、牧野さんはコールしつづけます。
その隙をねらってFは牧野さんの背部にまわりこみ、鉄パイプで後頭部を一撃しました。
苦しむ牧野さんを、今度は巾着状になっている袋を頭からすっぽりかぶせ、3分間引っ張りました。

Fは屈強そうな銀行マンではなく、牧野さんのように身長160cm程の優しそうな行員をわざと狙っていたようでした。
Fは競艇やオートレースなどのギャンブルにはまっており、給料から数万円、ボーナスから十数万円差し引いて妻に渡すと、
借金の利息にあてたり、残りをまたギャンブルにつぎ込むというような生活をしていました。
牧野さんを殺害した後も、A生命の総務課から呼ばれ銀行に現金を引き出しに行く用事をたのまれ、
払い戻し請求書を偽造して、A生命の金を600万円横領するようなこともしました。
利息や借金の取り立ての電話がいつもボイラー室にかかってきました。
おいつめられたFは、自分の体に導線をまきつけて電気を通し自殺を試みました。
しかし、のたうちまわっているところを家族に見つけられ、未遂に終わりました。
この時の自殺未遂をきっかけに、横領もA生命にばれ1979年2月18日付けで懲戒解雇されました。
この時、A生命は警察に届けるか迷いました。
- 妻が預金から100万円、Fの兄が100万円をA生命におさめる。
- Fが横領した額の残りを月々6万円、ボーナス時に12万円で返済していく。
- F本人が納められない時は、Fの兄が責任をもつ。
などの条件で、警察沙汰にはなりませんでした。
牧野さんが失踪した日に、Fは社内の人間2人に借金を返済しており、数日間のうちに7人にもの人間に借金を返済していました。
牧野さん失踪当時は、返済にあてた金は、牧野さんからうばったカバンの中の金から出ているのではないかと、勘づいている人もいました。
そんなFがA生命から懲戒解雇されたので、A生命内では殺人の疑いのある男が厄介払いされたのだという認識でした。
Fの裁判において
Fには検察側から死刑求刑がされましたが、弁護側の主張が尊重され無期懲役が確定しています。
1,700万円とともに失踪した銀行員とその後の驚愕の真実とは?のまとめ

以上1,700万円とともに失踪した銀行員の失踪事件についてご紹介しました。
B銀行が不祥事を恐れることなく、牧野さんの捜査を警察に本格的にやってもらえれば、少なくとも奥さんの死は防げたはずです。
牧野さんが疑いをかけられることなく、B銀行にすぐに死亡退職金や慶弔金をご家族に払っていれば、
残された奥さんと息子さんたちの人生は全然違うものになっていたとたでしょう。
まず、B銀行が不祥事を恐れ、牧野さんの失踪の届け出を警察に出さなかったこと。
人の命がかかっているのに、そんなに世間体って大事でしょうか。
A生命Fが横領した金を返済することを条件に、警察に届けでなかったのも、事件の解決を遅れさせた原因でもありますね。