この記事では全盲でありながら、9回目の司法試験に合格し、弱者に寄り添いながら難しい裁判に挑み、
闘い続ける竹下義樹先生をご紹介したいと思います。
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竹下義樹先生プロフィール
1951年2月15日生まれ 68歳
石川県輪島市出身
石川県立盲学校理療科卒業
京都府立盲学校普通科専攻科卒業
龍谷大学法学部卒業
京都弁護士会に所属 京都法律事務所入所
独立して竹下法律事務所を開所
現在つくし法律事務所(竹下法律事務所を改名)所長
21歳で学生時代に結婚
趣味:スキー・登山・岩登り
著書:ぶつかって、ぶつかって。
竹下義樹先生は他にも、社会福祉法人日本盲人会連合会会長など様々な機関の会長や所長を兼任されています。
竹下義樹先生は生まれた時から全盲だったわけではありません。
中学時代相撲部に入部
中学時代に体格ががっちりしていたことから、相撲部に誘われたのをきっかけに、
わんぱくで明るかった性格も相まって相撲の練習に励んでいました。
中学3年生の時に、相撲の練習をしているうちに目に異常を感じ、眼科を受診したところ「外傷性網膜剥離」と診断されてしまいます。
半年間の入院で2回の手術を受けますが、光のみをわずかに感じる程度の視力になってしまいました。
中学校からは盲学校の宿舎生活となりました。
盲学校の生徒は鍼灸マッサージの資格を取得して職業につくことしか道がなく、
特にやりたいことではなかったけれど、懸命に鍼灸マッサージの訓練をしたそうです。
目に見える世界を失った竹下先生は、音の世界にのめり込んでいき、ギターを弾くことで普通学級の生徒とも交流を深め、
普通学級の生徒と交流が深まったことがきっかけで弁論大家にも出場し2回目の挑戦で優勝することもできました。
竹下先生は、普通学級の生徒から刺激を受け、「大学に行ってみたい」と思うようになりました。
竹下先生は、盲学校の担任の先生にただカッコいい職業だという単純な理由で、「弁護士になりたい」ともちかけましたが、
盲学校の生徒のほとんどが、鍼灸マッサージの職業につく中で、ほとんど相手にしてもらえません。
しかし、竹下先生は持ち前の「しつこさ」で、担任の先生に何度もお願いし、
ほとんどマッサージの勉強しかしてこなかったので、高校の勉強を基礎からやり直しました。
竹下先生は持ち前のくじけないマインドと、担任の先生や周囲のサポートを得てみごと龍谷大学法学部に合格しました。

竹下義樹先生が9回目の司法試験に合格
竹下先生は、司法試験を受けるにあたって、盲目ゆえに他の受験生と同じように筆記の試験を受けることができません。
法務省に何度も何度も足を運び、「点字受験」を受けさせてもらえるようにお願いしました。
しかし、前例がなくはじめは門前払いの扱いを受けたようです。
そのうち弁護士に同行してもらい点字受験をお願いしにいくようになりました。
その時の弁護士が法務省の職員に、「あんたはそれでも人間か!」と大声で主張したそうです。
竹下先生は、「ああ、僕もいつかこんな弁護士になりたい」と心に誓いました。
竹下先生は、足掛け10年、8回の司法試試験に落ち、9回目の受験で見事合格を勝ち取りました。
竹下義樹先生は弁護士として、なかなか採用されなかった
司法試験に合格したものの、全盲の弁護士が採用されるには困難を極めました。
やっとのことで京都法律事務所から採用されたものの、盲人弁護士がたくさんいる欧米諸国を視察したいと思い、
毎日新聞社会事業団に頼みに行きました。
あつまったお金やカンパを携え、友人に同行してもらいドイツやアメリカを1か月間視察しました。
多くの盲人の弁護士活動から勇気を得て帰国し、10年間の弁護士活動のすえ、独立し京都に現在のつくし法律事務所を開設しました。
竹下先生は、自分が周囲の人々につくしてもらったように、弱者の代弁者になろう、自分がいままでしてもらったように、
今度は自分が人々につくしてやれる立場になりたいと考えるようになりました。
そして10年の弁護士活動で社会保障の分野で労災や、医療過誤に強い弁護士との評判を得るようになりました。
現在つくし法律事務所は11名の弁護士が在籍し、東京に拠点のあるつくし法律事務所には2名の弁護士が在籍しています。
竹下義樹先生のこれまでの業績
山口組の組長を相手どった裁判の弁護団長を務めて勝訴、ホームレス状態の人が、
生活保護を福祉事務所から打ち切られた訴訟で勝訴しています。
その他、知的障害や発達障害者の冤罪事件などに積極的に取り組んでいます。

竹下義樹先生(全盲の弁護士)・まとめ
以上、全盲の弁護士・竹下義樹先生をご紹介しました。
竹下先生は、はじめは弁護士という仕事がカッコいいからという単純な理由で目指したようでした。
恩師や友人たち、学生時代に結婚した奥さんやボランティア関連の人たちなどのたくさんの人々に支えられていくうちに、
「自分もしてもらったように、いつか自分もつくしてあげられる弁護士になりたい」という思いが芽生えていったようですね。
弁護士の不祥事がニュースとして取り上げられることが多い中、竹下先生のように障害があるために差別を受けて苦しんだり、
生活に困窮して苦しんだりしている人に寄り添える弁護士がもっと増えていくと嬉しいですよね。
今後も竹下義樹先生のご活躍を期待したいと思います。
