3年と9か月に及ぶ太平洋戦争の歴史の中で、特に大敗を記したということで有名なガダルカナルの闘い。
誰もが一度は歴史の教科書で、目にしたことがあると思います。
今回は、ガダルカナルの闘いと、ガダルカナルの闘いにおいて、
無謀な戦略で自らの隊の部下たちの命を奪ったとされる一木清直大佐(いちききよなおたいさ)の真実についてご紹介したいと思います。
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ガダルカナルの闘いとは?
1942年8月7日から1943年2月7日にかけて、西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島で行われた闘いのことを指します。
日本の連合艦隊が、アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリスなどの連合軍にミッドウェー海戦で敗れた直後、
大本営(日本の陸海軍の最高統帥機関であり、天皇の命令を発令する最高司令部としての機能を持つ機関)は、
第17軍に対して、東部ニューギニアのポートモレスビーを陸路により攻略するように命じていました。
これは日ごとに激しさを増していった連合軍による空爆を、阻止しようとするのが目的でした。
1942年3月、第144連隊と海軍特別陸戦隊一個大隊が、ニューギニア島のポートモレスビーに進出。
第17軍も、ニューカレドニア諸島(仏領)、フィジー諸島(英領)、サモア諸島(米領)、そしてポートモレスビーを攻略する目的の為に、再編成されました。
海軍がオーストラリア本土を占領したいという意向に対して、陸軍は猛反発していました。
同じ国の組織でありながら、対立する陸軍と海軍でしたが、
これらの地域を攻略すれば、米軍のオーストラリア経由の攻撃を遮断できるという、折衷案を見出しました。
ミッドウェー海戦で、4隻の空母を失っていた日本軍は、陸路でのポートモレスビー攻略を迫られました。
大本営よりどこまでジャングルに進出して、道路を作れるかの探査と作戦を命ぜられた第15連隊は、
1942年7月、ニューギニア島のブナに上陸します。
ちょうどその頃、ガダルカナル島で海軍が飛行場を建設していました。
7月の末には完成しそうになっていた飛行場でしたが、あわてふためいた連合軍が、ガダルカナル島へ8月7日に上陸しました。
この時、第15連隊と飛行場設営隊は、ジャングルの中に逃げ込みましたが、
米軍の海兵団が20,000人いたのに対し、日本陸海軍はわずか300人であったといいます。
日本陸海軍は、ガダルカナル島前方にある小さなツラギ島で、全滅するまで闘いました(ツラギ島の闘い)。
ニューギニア島の西側に位置するニューブリテン島、ウバウルというところにいた第8艦隊は、すぐに反撃に出ました。
8日の夜には、ガダルカナル島に到着し、たまたま付近を航行中の米軍の艦隊と交戦することになります。
米艇の「キャンベラ」など数隻を沈め、日本軍は優位に戦ったように思えました。
しかし、連合軍の空爆を恐れ、ただちにウラバルへ戻ります。
ガダルカナル島を奪い返すため、海軍から相談を受けた陸軍は、ガダルカナル島の実情さえもよく把握しないまま、ガダルカナル島へ上陸することとなります。
一木清直は無謀な策略家ではない!?
一木清直大佐は、米軍の勢力が強力であることを、海軍上層部によって事実がゆがめられる前に情報として入手していました。
ガダルカナル島と飛行場奪回を叫ぶ大本営と海軍の命令にたいして、
旭川第7師団第28連隊、2,400人の部下たちを率いていた一木大佐は、圧倒的に不利な状況の中、部隊を2つに分け輸送させます。
この上陸は偵察のための上陸で、勢いよく行軍することは避け、夜間に行軍しました。
その上危険を避け、飛行場から35キロ離れた場所に上陸しました。
第17軍隊も、一木支隊に米軍と交戦させないように、配慮していました。
しかし、この第17軍隊の配慮が皮肉なことに、一木支隊と米軍を予期せぬ場所で遭遇させしまいました。
偵察に行った一木支隊は、たいした装備もなく、武器もほとんど持っていませんでした。
米軍の圧倒的な兵力に、一木支隊は最後まで抵抗しましたが、全滅していまいました。
一木大佐は軍旗を焼いた後、自決したとされていますが、実際目にした者はおらず、真相のほどはわかっていません。
そして長い間、大勢の部下を見殺しにした隊長として、歴史に汚名を刻まれることとなってしまいました。
ガダルカナルの戦いにおける一木清直の無謀な戦略とは!?のまとめ
今回はガダルカナル島の闘いの概要と、ガダルカナル島における、無謀な策略家として汚名をきせられた一木清直についてご紹介しました。
歴史的に甚大な被害を招いてしまった、事件は誰か一人のせいにして、事実をゆがめ語り継がれていくということがよく起こるようです。
太平洋戦争において、圧倒的に不利な戦況下にもかかわらず、大本営は「日本国は優勢である」と言って、国民を戦争に駆り立てたようです。
ガダルカナル島の闘いにおいても、軍上層部により嘘に嘘を塗り重ねた結果として、
一木支隊は土地勘もない、ジャングルの中や沼地での戦いを強いられてしまいました。
ガダルカナル島の闘いで、未来ある若者たちの命が失われていったのが、とても悔やまれますね。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。