こんにちは!!なぎさです(*‘∀‘)
ご訪問ありがとうございます!!
今回は、東京都鎌田の「初音鮨(はつねずし)」というすし店を経営する親方の中治勝(なかじかつ)さんと、女将のみえ子さんが紹介したいと思います。
かつては閑古鳥が鳴くすし店を予約がとれないくらいの人気店にまで押し上げた、奇跡の逆転劇とはどういったものだったのでしょうか。
Contents
中治勝さん・みえ子さん(初音鮨)の紹介
JR蒲田駅西口に、ツタの絡まる鉄筋の建物で「HATSUNE」と壁にかかれた和洋折衷のおしゃれな外観のすし店です。
創業は明治26年、中治勝さんの曽祖父にあたる先代から続いている老舗寿司屋になります。
勝さんは初音鮨の四代目の親方にあたります。
初音鮨の売りは、軽快な勝さんの食材に関するおしゃべりで、お客さんを魅了しながら、一つ一つ手渡しでいただくスタイルのお寿司です。
メニューは店主のおまかせのコース料理のみになり、1人当たりの単価は45,000円。
席はわずかカウンター8席のみ。
勝さんに弟子はおらず、夫婦二人のみで洗濯・掃除、仕入れ・仕込みの全てをこなします。

中治勝さん・みえ子さん(初音鮨)に訪れた転機
かつては銀座の高級すし店に負けまいと気負っていた勝さん。
数万円するすしを食べに東京のはずれの蒲田までお客を呼び込むことは、困難なことでした。
人の流れというのは、そう簡単に変えられるものではなかったのです。
初音鮨は、2008年に「ミシュランガイド東京2009」に2つ星で掲載されましたが、利益はほとんど出ていない状況でした。
それより以前の2005年、勝さんは妻のみえ子さんの右乳房にステージ3の癌が見つかったことで、考え方を改めます。
5年生存率は10%以下と言われる、がんの治療を一通り終えて自宅に戻ったみえ子さんと「二人だけで最後の営業を行い、できる限りその日の食事を最高のものになるようにしよう」と誓いました。
一日一日を「明日はない」と思って、最高の鮨にするために、勝さんの目利きで最高の食材を仕入れ、シャリやネタに一つ一つ丁寧な仕事を施していったのです。
利益を度外視した非常識経営で、お客さんを信じて、お客さんが初音鮨の価値を高めていけるのだという信念を貫きました。
次第にお客さんは、一つ一つ綿密に計算された勝さんのすしを評価してくれるようになりました。
辛抱強く耐え続けること、10年間。
2015年に初音鮨が「食べログ」で紹介されます。
「食べログ」紹介されたのをきっかけに、SNSでも爆発的に紹介されるようになりました。
勝さんとみえ子さんの「二人だけで、もう明日はないと思って営業する」という誓いが実を結んだのです。
中治勝さん・みえ子さん夫妻の初音鮨の営業スタイルの特徴
尋常じゃないくらい豪華な鮨ネタを最初から最後まで使い、食材の中休みというのがありません。
これでもか、これでもかという具合で、お客さんを圧倒させる鮨ネタを披露していくのです。
その上、勝さんが最もこだわっているのがシャリです。
「ではみなさまご来店ありがとうございます」という挨拶をすると、みえ子さんが炊き立ての銀シャリを盛ったザルを持ってきて、お客さんの前で大量の酢を投入します。
シャリをどうやって作っているかを披露するすし屋は、まずないと言われています。
シャリが出来上がると、勝さんの軽快なおしゃべりで、緊張気味のお客さんがいたら笑いで緊張をときほぐし、最高の食事をしてもらうための準備をしながら、鮨ネタ一つ一つに丁寧な仕事をしながら、手渡しで食べてもらいます。
この手乗り鮨は、明治26年から続く初音鮨の伝統で、勝さんが幼少の頃から先代であるお父さんの握る鮨を、一つ一つ手渡しで食べていた経験からくるものです。
勝さんは子供の頃から、この手乗り鮨から素材の味、素材を生かすことの大切さ、温度の違いによって感じる微妙な味わいの違いを楽しんでいたといいます。
勝さんのおしゃべりと一緒に鮨を一つ一つ味わってもらい、みえ子さんやお客さんお笑顔の絶えない最高の雰囲気の中で、お鮨をいただけます。
まとめ(初音鮨)
今回は夫婦二人三脚で初音鮨を切り盛りする中治勝さんとみえ子さんについてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
みえ子さんのガンをきっかけに、みえ子さんの死を意識したお二人。
「もう明日はないかもしれない」と思っても、その気持ちをバネにさらに「最後の食事と思って最高のものにしよう」という発想が、現在のような良い結果を生むことになりました。
お二人には、今後も笑顔いっぱいの初音鮨の営業を続けて行ってほしいですね。