こんにちは!!なぎさです(*‘∀‘)
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茨木県久慈郡大子町(いばらぎけんくじぐんだいごまち)の漆掻き(うるしかき)職人・秋田稔さんをご存知ですか。
今回は、秋田稔さんをご紹介したいと思います。
Contents
漆掻き職人・秋田稔さんとは?
1944年生まれ。
15歳の時から、家業である漆掻き継いで4代目となり、現在75歳になります(2019年5月28日現在)。
秋田さんの家の初代漆掻き職人が、栃木県名須川町の健武(たけぶ)に住んでいましたが、隣接する茨木県久慈郡大子町が大子漆(だいごうるし)の産地として、有名であったことから、活動範囲を大子町まで広げ、漆掻きの仕事を続けました。
2011年に、日本漆工協会から優秀漆工技術者に選ばれています。
直近の2回、伊勢神宮の※遷宮(せんぐう)で、秋田稔さんの掻いた漆が使用された、漆器類が使用され、秋田さんの掻いた漆には高い品質であるとの評価があります。
※遷宮とは、神社の本堂の造設や修理の際に、神体を本堂とは異なる場所に移設することです。
大子漆(だいごうるし)とは
茨木県久慈郡大子町を中心に、八溝山地南部域(やみぞさんちなんぶいき)に発達した漆生産に対する漆原液の総称になります。
1935年くらいまでは、大子町が漆生産の全国第一位でしたが、その後減少し、現在は全国第二位となっています。
漆の樹液を採取するのは、6月~10月で、漆掻きの仕事は早朝5時から始まります。
日が昇って、太陽が樹木の表面を照らすと、樹は水分を枝や葉に集めて身を守ろうとするため、樹液が出るのが鈍ってしまうためです。
樹齢10年くらいの樹を選び、「辺(へん)」と呼ばれる傷をつけ、辺からでる樹液を採取しチャンポと呼ばれる入れ物に入れます。
いろいろな樹を回りながら、3~4日に1度くらいのペースでまた同じ樹に戻ってきます。
同じように下の段に、傷をつけて樹液を採取します。
掻きたての樹液は、白く甘い香りがします。
一傷から、ほんの数滴しか樹液は採れません。
この為、漆掻き職人の仕事は、過酷な作業となり、後継者不足と人手不足で、現在は漆掻き職人は大子町には数名しかいないと言われています。
夏以降には、独特の採取傷が残された状態となり、樹液を採り終えて役目を終えた樹は秋から冬にかけて討伐されます。

伐採した樹の株からは、「ひこばえ」という苗が目を出し、いくつかの株に分けた後植樹され、また10年間樹液が採取できるようになるまで、大子町の漆掻きによって管理され、育林されていきます。
採取した漆は、採取時期で透明度や粘土などの品質が異なり、下塗り用・仕上げ用などの用途に分けられます。
こちらに貴重な漆掻き職人桐原道明さんという方のお話が掲載されています
現在、漆器職人である辻徹(つじとおる)さんという方が、八溝塗工房(やみぞぬりこうぼう)器而庵(きじあん)という大子漆(だいごうるし)製品のお店を経営しながら、漆の樹を植樹し、育林も行い、漆掻きもし、伐採した漆の樹で製品を作り、大子漆製品を作るという活動を行っています。
秋田稔さんが漆掻きをする大子町とはどんなところ?
観光スポットとして、袋田(ふくろだ)の滝や、県内最高峰の八溝山(やみぞさん)、岩肌が荒々しい奥慈男体山(おくじなんたいさん)、温泉スポットとして森林の温泉(もりいでのゆ)、袋田温泉、大子温泉、月居温泉(つきおりおんせん)などが有名な自然あふれる町です。
特産品に、奥久慈茶(おくくじちゃ)、奥久慈りんご、奥久慈ゆば、奥久慈鮎、奥久慈しゃも、漆、奥久慈そば、こんにゃく、地ビール、おやき、硯(すずり)などがあります。
かつて人口は42,000人いたとされていますが、現在は2万人を下まわると言われています。
秋田稔さん(漆掻き職人)・まとめ
今回は漆掻き職人・秋田稔さんについてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
秋田稔さんは75歳というご年齢もありますし、これから後継者が育ってくれることが望まれるところですね。
今後も秋田稔さんのご活躍を、応援したいと思います。