2007年8月、アメリカフロリダ州で起きた、当時7歳の少女がプールで溺死した事件があります。
この事件は、メディアで7歳にして「お姉ちゃんを殺したのはママだ」と証言台に立った少年のことが取り上げられ、有名になりました。
プールで溺死した少女は当時7歳のアドリアナ、証言台に立ったのは当時6歳だった弟のAJでした。
この記事では、アドリアナ殺害事件について、ご紹介したいと思います。
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アドリアナ殺害事件とは
2007年8月8日、フロリダ州エストという小さな町で、アドリアナという当時7歳の少女が、母親のアマンダ・ルイスに殺害されるという事件がおきました。
911に電話をかけ、救急隊を呼ぶアマンダは、取り乱していて「娘がプールに浮いていて、息もしていない。唇も真っ青なの」と電話口で叫びます。
救急隊は近くのベイ・メディカル・ホスピタルに救急搬送し、1時間かけて蘇生を試みましたが、アドリアナは息を吹き返すことはありませんでした。
当時6歳だった、弟のAJが「母親の体罰で、お姉ちゃんが死んでしまった」と証言するまでは、アマンダは悲劇のシングル・マザーとしてメディアに取り上げられていました。
警察の調査の中で、アドリアナが※ADHD(注意欠陥多動性障害)であったことがわかり、
アマンダが娘の育児に悩んでいたことを周囲に明かしていたことがわかりました。
※注意欠陥多動性障害とは、集中力のなさや、落ち着きのなさ、順番待ちができないなどが特徴の発達障害をいいます。
また、アマンダの家の中は、散らかし放題で、特にアドリアナのベッドルームは尿臭がし、
不潔な状態で、とても母親に世話されている幼い少女の部屋と呼べるものではありませんでした。
それに加え、アマンダの家には、6歳と7歳の幼い子供がいる家にもかかわらず、おもちゃが一つもなかったといいます。
アマンダ・ルイスとは
アマンダ・ルイスは事件当時、27歳で老人ホームで看護師アシスタントとして、夜勤もこなしていました。
シングルマザーでしたが、子どもは亡くなったアドリアナとAJの二人。
驚くことに、アマンダが16歳の時に生んだ男の子も、2歳になる前に低酸素症で亡くなっていることです。
アマンダの子供たちだけ、3人中2人が亡くなるなんて不自然に思えます。
この時に検死を行った、チャールズ・シーバードは疑惑の残る検死を何度もしており、
アマンダの事件でも法廷で証言に立つ予定でしたが、直前になって行方をくらませています。
裁判の争点
チャールズ・シーバードによる疑惑の検死。
なぜ家におもちゃがないのか(アマンダにアドリアナに対する愛情があったのか)。
アマンダの同僚の証言(アマンダがアドリアナの育児に疲れ、殺したいとまで言っていた)。
家が育児をしているとは思えないほど、ちらかっている。
アドリアナの額のあざと、後頭部の傷(プールが1.2mも水深があるのに、落ちただけではたして、後頭部に傷ができるほど、頭を打ち付けるものなのか)。
AJの証言
AJは当時6歳なだけに、AJの発言が幼い子供のいうことだから信ぴょう性に欠けるのではないかと思われていました。
事実、裁判中、AJは混乱して、証言の内容を2転、3転、させることもあったと言います。
一度は取り乱したものの、検察官になだめられた後、AJははっきりいいます。
「お姉ちゃんを殺したのは、ママです」。「ママがお姉ちゃんのおでこをつかんで、プールの底に押し付けたんです」。
「突然のことだから、お姉ちゃんは声もあげることができませんでした」。
警察の捜査では、AJが事故当時、プールの側にいたのかどうか突き止めることはできませんでしたが、
AJの証言どおりアドリアナの遺体には、ひたいに紫の指の跡がついていたと言います。
また、AJが描いた事件当時のプール周辺の絵も、重要な状況証拠となりました。
裁判の結果
事件が審理されてから4日後、陪審員はアマンダに第一級殺人の有罪との判決を下し、仮釈放なしの終身刑となりました。
アマンダは今もフロリダ州、ローウェル刑務所に服役中です。
AJは現在18歳になり、事件以降、他のご夫婦の養子となり暮らしているようです。
息子VS母親、「ママがお姉ちゃんを殺した!」7歳の少年の証言のまとめ
今回はアドリアナ殺害事件についてご紹介しました。
アドリアナはADHDという発達障害であったと言いますし、もちろん育児も健常児よりは大変だったでしょう。
確かめる術はありませんので、アマンダの最初の子供もアマンダが殺害したとは言えません。
しかし、アマンダ自身も何らかの精神疾患をかかえていたのかもしれません。
こんな悲劇が起こる前に、周囲の人たちもアマンダの家庭に手を差し伸べることはできなかったのでしょうか。