こんにちは!!なぎさです(*‘∀‘)
ご訪問ありがとうございます!!
ハンセン病という病気を「なんとなく聞いたことがある」程度で、実際のところはどのような病気かわからない方も多いと思います。
今回は、ハンセン病の歴史とハンセン病患者とその家族が、国を相手どり起こした裁判の結末についてわかりやすくご紹介していきたいと思います。
Contents
ハンセン病とは?
抗酸菌の一種である「らい菌」の感染により、引き起こされる感染症で、1873年にらい菌を発見した、ノルウェーの医師・アルマウェル・ハンセンに由来しています。
主な症状として皮膚や四肢などの末梢神経の障害・発汗の低下、中枢神経の根幹である脳神経の障害、両者を合併して発症する場合もあるようです。
1907年の「らい予防法(旧法)」によって、全患者が隔離され人間らしく生きる権利を奪われました。
これは、当時医学の知識が一般人に容易に得られない状況下で、ハンセン病患者の外見や感染の恐怖などからくる偏見や差別が生んだものでした。
ハンセン病自体は遺伝病でもなく、非常に感染力が低くい上、簡単にうつる病気ではありません。
1948年に日本らい学会が特効薬「プロミン」を発表したにもかかわらず、日本政府は「優生保護法」のもと、ハンセン病患者の生殖を不能にする優性手術を行わせました。
2001年に八尋秀光弁護士(やしろひでみつべんごし)、徳田靖之弁護士を共同代表として率いる弁護団が、熊本地裁において、「らい予防法は、人権を著しく侵害し、違憲性はあきらかである」として、国を相手取り勝訴しています。
ハンセン病弁護団代表・八尋光秀弁護士とは
医療過誤訴訟、国賠訴訟、刑事冤罪弁護、精神科医療にかかわる患者隔離問題、人命、人権、人生被害をもたらす諸問題に取り組む弁護士です。
1998年よりらい予防法違憲国家賠償訴訟いわゆるハンセン病訴訟の弁護団代表となりました。
係わった著名事件に、
三井有明鉱火災事件
薬害エイズ訴訟
薬害肝炎訴訟
冤罪高事件(鹿児島夫婦殺し事件)
冤罪最新大崎事件
冤罪最新福岡事件
佐世保市立大久保小学校事件
などがあります。
島比呂史(しまひろし)(故人)さんが九州弁護士会連合会へ宛てた手紙から全てはじまった
1996年に「らい予防法」は廃止されましたが、その廃止に伴い国はそれまで押し進めてきたハンセン病患者への隔離政策、強制堕胎、断種などを謝罪をすることもなく、うやむやにしたまま「らい予防法」の廃止により幕を下ろそうとしていました。
このことに憤りを覚えた島さんは、九州弁護士会連合会に告発文を送りました。
九州弁護士会連合会は、それまでの人権侵害の実態を把握するために星塚敬愛園(鹿児島県)と菊池恵楓園(熊本県)へ聞き取り調査をしに行きました。
6割の人が回答に応じ、その中で堕胎や断種を強制された人たちは医師の免許も持たない人に手術され、許可なく外出したりすると、独房のようなところに閉じ込められ懲罰を受けていたといいます。
療養所に入所した者は、本名を捨てさせられ療養所内でだけ通用する偽名で過ごしたということです。
療養所内では、死亡者がでると、家族や故郷を捨てさせられたハンセン病患者を無断で解剖することも行われていました。
1960年にらい予防法をすぐに廃止しなかったのは日本国憲法に違反する
九州弁護士会連合会の弁護士は療養所に調査に行った時に、ハンセン病患者から「弁護士さんが園に来るのも、見るのもはじめて」と笑顔で向かい入れられ、法曹家でありながら、これまで不当な隔離政策で人間らしく生きることを奪われてきた人々の存在に気付かなかったことを恥じました。
さらに九州弁護士会連合会は池永弁護士(故人)を筆頭に、チームを組んで国立ハンセン病療養所の九州5園について、聞き取りアンケートを実施し、国のハンセン病患者隔離政策の差別偏見の成り立ちなどの分析を行った上で、九州弁護士会連合会「らい予防法・同廃止に関する私たちの見解と提案」(1996年3月19日)を発表しました。
時の厚生大臣(現厚生労働大臣)は、1960年にハンセン病患者隔離政策の廃止、国会議員は遅くとも1965年には「らい予防法」の廃止を決議しなければならなかったのです。
にもかかわらず、この問題を放置しつづけた歴代の厚生大臣と国会議員は違法かつ有責であるとして、国に賠償責任を求めました。
裁判長だって同じ人間。八尋弁護士は裁判官がハンセン病患者に会ってどう感じるかに重きをおき、法廷戦術とした
2001年5月11日、当時の熊本地方裁判所法廷では、実際にハンセン病患者で入所者同士で結婚した夫婦が証言されました。
確かに赤ちゃんの泣き声まで聞き生まれてきたにもかかわらず、瞬時に命を奪われ、へその尾のみを手渡され療養所内の土の中に埋めたということです。
夫婦はへその尾のみのお墓の前で、毎日手を合わせてお祈りしていると言います。
傍聴席からは、すすり泣く声が聞こえてきました。
にもかかわらず、国側の代理人は非情にも原告側の証人に「それでもあなたは、国のお金で今も暮らしていますよね」と問いかけました。
実は鹿児島での事前の出張尋問で、療養所のハンセン病患者たちは園長から「国を訴えてしまうと、園での処遇が悪くなるかもしれない」と脅しともとりかねない言葉で、原告側とは反対の立場にいました。
この時裁判長は鹿児島の療養所の園長に補充質問として、「あなたは裁判を受ける権利というのはわかりますか」と投げかけました。
「憲法第32条において『何人も、裁判所において裁判を受ける権利は奪われない』、つまり訴訟を起こしたことの結果によって、いかなる不利益をこうむってはいけないのです」とさとしました。
この補充質問で、傍聴席側からの拍手喝さいがおきたといいます。
原告側はこの日、勝訴しました。
日本政府は事実認定や、違憲性に反論するため、14日間の猶予期間内に控訴を検討しました。
しかし控訴するに足りるほどの正当性を見いだせないまま、5月25日に法務大臣・森山眞弓と厚生労働大臣・坂口力が協議した後に、内閣総理大臣・小泉純一郎の政治判断により、福岡高等裁判所への控訴を断念し、熊本地方裁判所での一審が確定判決となりました。
小泉総理はこの日、ハンセン病問題の早期かつ全面解決に向けての内閣総理大臣談話を発表しています。
その中で、この国ではじめてハンセン病患者に対する施設入所施策が、患者の人権や大きな制約・制限になったこと、一般社会において極めて厳しい差別や偏見が存在した事実を真剣に受け止め、ハンセン病問題の早期かつ全面解決に向けて3つの解決策を図ることとともに、謝罪をしています。
1. 今回の判決の認容額を基準として、訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者全員を対象とした新たな補償を立法措置により講じることとし、このための検討を早急に開始する。
2. 名誉回復及び福祉増進のために可能な限りの措置を講ずる。
具体的には、患者・元患者から要望のある退所者給与金(年金)の創設、ハンセン病資料館の充実、名誉回復のための啓発事業などの施策の実現について早急に検討を進める。
3. 患者・元患者の抱えている様々な問題について話し合い、問題の解決を図るための患者・元患者と厚生労働省との間の協議の場を設ける。ウィキペディアより引用
ハンセン病資料館は私の実家の近くでもありますので、たまたま迷いこんで拝観しましたが、2階建てのとてもすばらしい施設です(拝観料無料)。
ハンセン病患者たちが、療養所内でどのような生活を営んでいたかを知ることができます。
駅から歩いて行くには不便ですが、タクシーかバスを利用するとすぐです。
ハンセン病国賠訴訟における泣ける裁判と小泉総理の決断のまとめ
今回は北村弁護士が語る平成最後の泣ける裁判…ハンセン病国賠訴訟についてご紹介しました。
私は、実家が国立療養所多摩全園(こくりつようりょうじょたまぜんしょうえん)のすぐ近くで、子どもの頃はハンセン病患者の方が身近にいる環境で育ちました。
両親には「近所で会っても、うつる病気じゃないから、騒いだり変な目で見たりしたらいけない」と厳しく言われ育っています。
知識さえあれば、差別や偏見でハンセン病患者を隔離施設へ入れることもなかったのです。
長い間、日本政府の怠慢により「らい予防法」が放置され、ハンセン病患者の方が人間らしい営みもできず、不当に差別されつづけてきたことが、本当に悔やまれます。
また鹿児島の療養所の園長がとったような「脅し」ともとられるような行為は、決して許されるものではありません。
裁判の結果によって不利益を被ることがあっては、ならないはずですね。(実際には社員が会社を訴えた時などに、不利益を被ってしまうことが多いようですが)
そうなってしまうと、自分の権利を主張する人がいなくなり、本来の司法の役割の意味がなくなってしまいます。
当然あるべき自分の権利を主張したいと思っている人が、泣き寝入りすることのないような世の中になってほしいものです。