こんにちは!!なぎさです(*‘∀‘)
ご訪問ありがとうございます!!
今明秀(こんあきひで)さんという救命医をご存知ですか。
今明秀先生は、ドクターヘリ・ドクターカーを用いた医療体制を確立させたことで有名な医師です。
この記事では、今明秀先生と今先生がどのようにしてこれらの医療体制を確立させていったのかをご紹介していきます。
Contents
救命救急医・今明秀さんとはどんな人物?
1958年青森県出身。現在60歳です。(2019年4月15日現在)
1983年自治医科大学卒業。
青森県大間で5年間へき地の診療所に勤務したあと、2004年八戸市立市民病院救命救急センターの所長に就任。
ドクターヘリ・ドクターカーを同時に一つの現場に急行させる、「サンダーバード作戦」で絶対絶命とされてきた、多くの重症患者の命を救い続けています。
著書に「青森ドクターヘリ 劇的救命日記」、「空飛ぶ院長、医療過疎地を救う!青森ドクターヘリ 劇的救命日記2」などがあり、他にも救命医向けの医療の専門書を多数執筆しています。
今明秀先生のへき地での命を守る闘いとは?
今先生が救命救急センターに就任した2004年当初は、青森県はへき地が多く医師体制も整っていませんでした。
早く病院にさえ来ていれば助かった命、プリベンダブルデス(防ぎえた死)が非常に多いのが特徴でした。
青森県は高齢者の死亡率よりも、40代・50代の働き盛りのお父さん、お母さんが交通事故や水難事故、病気などで亡くなる率が高く、今先生はこの若い人の死亡率が高いことにもとても心を痛めていました。
プリベンダブルデス=ゼロに向けて、今先生は病院スタッフの技量を上げること、消防との連携を進めていく、市民への啓発活動に尽力し、八戸市の強力なバックアップと病院の協力を得て、2009年3月25日にドクターヘリを飛ばせることを実現しました。
文章で書くと簡単なことに思えますが、これだけで5年の歳月が流れています。
今明秀先生が日本初のドクターカー導入に着手する
2009年当初、単独病院でドクターヘリとドクターカーの両方を運用しているケースは全国的にもありませんでした。
しかし、ドクターヘリの出動は天候にも左右されてしまうし、朝8時30分から日没までと決まっています。
場所によっては着陸場所がなく、現場に向かえないケースもあります。
それではどうしても対応しきれない空白の時間と地域が出てしまう。
今先生はこの問題を解消し、プリベンダブルデスを一人でも減らすために、一刻も早くドクターカーを導入すべきだと考えました。
ドクターカーの運行式が行われたのが、2010年3月29日。
この日のうちに、2回も出動しています。
八戸市立市民病院は空路と陸路で患者のもとへ医師を送り出し、治療を行いながら病院へ搬送する「サンダーバード作戦」を確立し、より多くの患者の命を救うことになりました。
2016年の4月から6月にかけて放送された剛力彩芽主演の「ドクターカー」(日本テレビ系)の企画段階において、制作スタッフがドクターカーの取材のために、八戸市立市民病院の今先生のところにやってきたそうです。
その頃今先生はマイクロバスを改造して、バスの中で手術を行えるようにしたらどうかと「手術できる車=移動緊急手術室」を開発することに尽力していました。
この手術できる車を、救急車の中で人口心肺を使おうとして倫理委員会から不承認となっていた市立札幌病院から、事前資料を受け取り周到な準備をした上で、八戸市立市民病院の倫理委員会で承認を得ました。
今先生はこの手術できる車を、仮面ライダーV3をもじり「ドクターカーV3」と名付けています。
ついに劇的救命に成功
2016年12月のある日の午前11時30分頃、八戸市河原木の海岸で40代の女性が海で溺れて引き上げられたとの119番通報が入りました。
八戸消防本部はすぐに救急車を出動させると同時に、八戸市立市民病院ERにドクターカーの要請をしました。
走行中のドクターカー1号の中の医師からの情報で、今先生はドクターカーV3の出動を即決しました。
女性は心肺停止におちいっていましたが、すぐにドクターカーV3の天井からテントが引き出され、PCPS(人工心肺装置)装着手術が開始されました。
手術後女性は、八戸市立市民病院へ搬送され、ER・救命救急センターで治療を続けたそうです。
30日後、女性は心配されていた後遺症が残ることもなく、徒歩で帰宅することができたということです。
今明秀先生の現在の試み
八戸市立市民病院を教育機関として充実させ、若い医師たちにとって魅力的な病院にする。
八戸市立市民病院には救命救急医療を学ぼうと、多くの若い医師たちがやってくるが、彼らはある一定期間修行するとそれぞれの故郷や大都市に戻っていってしまうため、貴重な人材の流出が絶えないそうです。
八戸市立市民病院を教育機関として成熟させることで、病院を発展させ、そのパワーで地域医療の中核を担い続けたいと考えています。
そのために、「サンダーバード作戦」や「ドクターカーV3」と派手なネーミングをするようなこともして、八戸市立市民病院をブランド化しています。
今明秀さんが医療過疎地を救う。今先生が目指す劇的救命とは?のまとめ
今回は救命医・今明秀先生と今先生が確立させた医療体制についてご紹介しましたが、いかがでしたか?
ドクターヘリやドクターカーをもってしても、救えない命も時にはあると思います。
そのような患者に関わった時は、医師も看護師も傷つきひきずってしまい、ストレスと重責に耐えきれなくなって救命救急センターを辞めていく人もいるそうです。
それでもなお、救わなくてはならない命があるからと、立ち向かっていく今先生の情熱に感動させられますね。
今後も今明秀先生のご活躍を、陰ながら応援したいと思います。